制作決定の発表から早5年、その後も数回の公開延期を経て、前作から約13年ぶりの新作「劇場版 魔法少女まどか☆マギカ〈ワルプルギスの廻天〉」が現在上映されている。待ちに待ったこの作品を観る前にこれまでのまどマギを見返して暁美ほむらについて考察してみた。
※この記事には『魔法少女まどか☆マギカ』の重大なネタバレがあります。
暁美ほむらというキャラクターについて考えるとき、どうしても気になるのが「なぜ彼女はそこまで鹿目まどかにこだわるのか」ということだ。
最初に見たとき、ほむらの行動はかなり不可解に見える。
まどかに近づこうとする人間を警戒し、魔法少女になることを止めようとする。
一方で、自分自身のことについてはほとんど語らない。
しかし物語を最後まで見ると、その理由が明らかになる。
彼女はまどかを救うために、何度も時間を繰り返していた。
ほむらにとってのまどかは「大切な友達」から始まった
ほむらとまどかの関係を考えるうえで重要なのは、最初から特別な関係だったわけではないことだと思う。
むしろ、ほむらにとってまどかは、自分を支えてくれた大切な存在だった。
病院で過ごしていたほむらにとって、まどかとの出会いは大きな意味を持っていた。
そして、まどかが魔法少女として命を落とす未来を経験したことで、ほむらは「まどかを救う」という願いを抱く。
ここから彼女の時間遡行が始まる。
最初の目的は「まどかを救う」ことだった
ほむらの行動は、最初はかなり純粋だったのだと思う。
まどかを死なせたくない。
魔法少女になってほしくない。
悲惨な未来を変えたい。
そのために時間を戻し、何度もやり直す。
しかし、ここには一つ大きな問題がある。
何度やり直しても、理想の結果にならない。
誰かを救おうとすると別の誰かが犠牲になる。
まどかを守ろうとすると状況が悪化する。
そして、何度も同じ時間を繰り返すうちに、ほむら自身も変化していく。
「諦めないこと」は、いつから「執着」になったのか
ここが、ほむらというキャラクターの最も怖いところだと思う。
最初は「まどかを救いたい」という優しさだったはずなのに、時間を繰り返すほど、その思いは強くなっていく。
そして最終的には、まどかを救うことが彼女の人生そのものになってしまう。
これは純愛として見ることもできる。
しかし、別の見方をすると、とても危うい状態でもある。
相手の幸せを願っているはずなのに、「相手のために自分が何とかしなければならない」という気持ちが強くなりすぎると、いつの間にか相手の意思より自分の理想を優先してしまう可能性がある。
ほむらの物語には、そんな危うさがある。
何度失敗してもやり直すことの怖さ
普通なら、何度も失敗すれば諦めてしまう。
でも、ほむらには「時間を戻せる」という能力がある。
それは一見すると非常に便利な能力だ。
失敗したらやり直せる。
嫌な結果になったら最初からやり直せる。
しかし、もし本当に何度でもやり直せるとしたら、それは幸せなのだろうか。
一度目の失敗なら「仕方がなかった」と思える。
二度目なら「次は頑張ろう」と思える。
でも、何十回、何百回と繰り返して、それでも成功しなかったら。
「次こそは」と思い続けることそのものが苦痛になってしまうかもしれない。
ほむらは、まさにその状態に近づいていく。
ほむらは「諦めない強さ」と「諦められない弱さ」を両方持っている
個人的にほむらの面白いところは、彼女を単純に強いキャラクターとして見ることができないところだ。
確かに彼女は強い。
何度失敗しても立ち上がる。
自分より強大な相手にも立ち向かう。
しかし、それは同時に「諦めることができない」という弱さでもある。
だからこそ、ほむらは魅力的なのだと思う。
完全に正しいわけでもない。
完全に間違っているわけでもない。
まどかを大切に思っている気持ちは本物なのに、その気持ちが強くなりすぎることで、新しい問題を生み出してしまう。
この矛盾こそが、ほむらというキャラクターの面白さだと思う。
まとめ
暁美ほむらがまどかに執着する理由は、単純な恋愛感情だけでは説明できない。
自分を救ってくれた相手への感謝。
失いたくないという恐怖。
何度も失敗した経験。
そして「今度こそ救いたい」という決意。
それらが積み重なった結果、まどかを救うことがほむら自身の存在理由になっていったのではないだろうか。
だからこそ、ほむらの物語は「大切な人を守る」という美しい話であると同時に、「誰かを思う気持ちが強すぎるとどうなるのか」という怖い話でもある。
『魔法少女まどか☆マギカ』を見返すときは、序盤のほむらの言動にも注目してみると、初見とはかなり違った物語に見えてくるはずだ。



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