制作決定の発表から早5年、その後も数回の公開延期を経て、前作から約13年ぶりの新作「劇場版 魔法少女まどか☆マギカ〈ワルプルギスの廻天〉」が現在上映されている。待ちに待ったこの作品を観る前にこれまでのまどマギを見返して鹿目まどかについて考察してみた。
※この記事には『魔法少女まどか☆マギカ』の結末に関する重大なネタバレがあります。
『魔法少女まどか☆マギカ』の最後で、鹿目まどかは大きな決断をする。
それは、自分自身の願いによって魔法少女の運命そのものを変えるというものだった。
結果として、まどかは「円環の理」となり、これまでとは違う世界を作り出す。
物語としては非常に美しい結末だ。
しかし、改めて考えてみると、一つの疑問が残る。
「まどか自身は、本当に幸せだったのだろうか?」
まどかは最後に「世界を救った」
まどかの願いは、自分だけを救うものではない。
過去、現在、未来に存在する魔法少女たちの絶望をなくすために、自分自身を犠牲にする。
その結果、魔法少女が魔女になるというシステムそのものが変わる。
まどかは世界を救った。
主人公として考えれば、これ以上ないほど大きな功績だ。
でも、その代償はあまりにも大きい。
「自分が幸せになる」という選択肢を捨てている
まどかは物語の中で、何度も「自分には何もできない」と悩んでいる。
自分だけ特別な力を持っていないことに苦しみ、周囲の魔法少女たちが戦う姿を見ながら、自分にできることを探している。
そんな彼女が最後に選んだのは、
「自分が幸せになること」
ではなかった。
「みんなを救うこと」
だった。
これは非常に美しい。
しかし、同時に少し怖い選択でもある。
誰かを救うために、自分自身の人生を手放すことになるからだ。
まどかは自分の意思で選んだ
ただし、まどかを単純な「犠牲になった少女」と考えるのも違うと思う。
重要なのは、最後の選択がまどか自身の意思によって行われたことだ。
誰かに強制されたわけではない。
キュゥべえに命令されたわけでもない。
自分がどうしたいのかを考えたうえで、その願いを選んだ。
だからこそ、この結末は悲しいだけではない。
まどかは最後に、自分自身で自分の生き方を決めたとも考えられる。
それでも「幸せ」という言葉では簡単に片付けられない
では、本当に幸せだったのか。
ここについては、簡単には答えを出せない。
人によっては「自分の願いを実現できたのだから幸せ」と考えるだろう。
一方で、「普通の女の子として生きる未来を失ったのだから幸せとは言えない」と考える人もいると思う。
どちらが正しいとも言い切れない。
むしろ、ここを簡単に答えられないこと自体が、『まどマギ』の面白さなのだと思う。
幸せとは、単純に楽しい時間が長いことなのか。
誰かの役に立つことなのか。
自分の願いを実現することなのか。
それとも、自分自身で生き方を選択できることなのか。
まどかの最後の選択は、そんな問いを残している。
まどかとほむらの違い
まどかとほむらを比較すると、さらに面白い。
ほむらは「まどかを救うため」に何度も過去へ戻る。
一方、まどかは「魔法少女たちを救うため」に自分自身の願いを使う。
どちらも「誰かを救いたい」という気持ちから行動している。
しかし、二人が選んだ方法は大きく違う。
ほむらは、一人の大切な人を救おうとする。
まどかは、より多くの人を救おうとする。
だからこそ、二人の関係には単純な「友情」だけでは説明できない複雑さがある。
まどかの選択は「自己犠牲」なのか
個人的には、まどかの最後の選択を完全な自己犠牲として見るのも少し違うと思う。
もちろん、自分の人生を捨てるという意味では大きな犠牲だ。
しかし、まどか自身が「そうしたい」と願ったことも事実。
つまり、
「自分を犠牲にして誰かを救った」
だけではなく、
「自分がどういう存在になりたいのかを、自分自身で決めた」
とも考えられる。
ここに、まどかというキャラクターの成長があるのではないだろうか。
まとめ
鹿目まどかが最後に幸せだったのか。
この問いには、明確な答えを出す必要はないのかもしれない。
普通の少女として生きる未来を失ったという意味では、悲しい結末にも見える。
一方で、自分が心から望んだ願いを最後まで貫いたという意味では、まどかにとって大切な選択だったとも考えられる。
『魔法少女まどか☆マギカ』の面白さは、「正しい答え」を一つ提示して終わらないところにある。
まどかの選択を見て、
「自分ならどうするだろう」
と考えさせられる。
そして、作品を見終わった後もその問いが残り続ける。
だからこそ、放送から時間が経った今でも『まどマギ』について語りたくなり、現在上映中のまどマギ新作「ワルプルギスの廻天」に思いを馳せているのだろう。



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