※『NARUTO』終盤までの重大なネタバレを含みます。
千手柱間とうちはマダラの関係は、『NARUTO』という物語そのものを象徴する関係です。
二人は最初から敵だったわけではありません。
むしろ、少年時代の柱間とマダラは、互いの素性を知らないまま出会い、川辺で語り合い、忍の世界を変えたいという夢を共有していました。
「子どもが戦争で死なない世界を作りたい」
この願いだけを見れば、二人は同じ方向を向いていたのです。
しかし最終的に、
柱間は「木ノ葉隠れの里」を作り、
マダラは木ノ葉を離れ、
二人は戦場で殺し合うことになります。
ここに柱間とマダラの関係の最大の皮肉があります。
二人は思想が正反対だったから敵になったのではありません。
むしろ、同じ理想を持っていたからこそ、理想を実現する方法の違いが決定的な対立になったのです。
そして二人の関係を深く考えると、柱間は単純な「光」、マダラは単純な「闇」ではありません。
二人とも戦争を終わらせたかった。
二人とも弟や仲間を失っていた。
二人とも相手を認めていた。
それでも、最後まで同じ場所には立てなかった。
この二人の関係は、「友情が憎しみに変わった物語」というだけではありません。
「同じ夢を持った二人が、夢の実現方法の違いによって分岐していく物語」
として見ると、非常に深く理解できます。
- 少年時代の柱間とマダラは、実は非常によく似ていた
- 柱間とマダラは「もう一人の自分」のような存在だった
- 二人を分けた最大の出来事――弟の死
- 柱間は「信じること」に未来を託した
- マダラが恐れたのは「柱間」だけではなかった
- マダラは柱間を嫌っていたのか
- 二人は「相手を理解していたからこそ戦った」
- 柱間は「制度」を信じ、マダラは「人間」を疑った
- 木ノ葉隠れの里は柱間の答えだった
- しかし柱間の理想にも限界があった
- マダラの問題は「平和を疑ったこと」ではない
- 無限月読は「マダラの究極の逃避」だった
- 柱間とマダラの違いは「失うことへの向き合い方」
- 「柱間ならマダラを救えたのか」という問題
- 扉間の存在が二人の関係に与えた影響
- 終末の谷は「友情の墓場」ではなく「思想の決着」
- マダラにとって柱間は「唯一の理解者」だった
- 柱間にとってもマダラは特別だった
- ナルトとサスケは、柱間とマダラの関係をやり直す存在
- ナルトは柱間の理想をさらに先へ進めた
- マダラとサスケにも違いがある
- 柱間とマダラ、ナルトとサスケの最大の違い
- 「アシュラとインドラ」という構造だけでは説明できない
- 「運命だから仕方ない」ではなく「運命をどう乗り越えるか」
- 柱間は「理想主義者」、マダラは「悲観主義者」
- マダラの最大の悲劇は「理想を諦めたこと」ではない
- 柱間の最大の弱点は「人を信じすぎること」
- 二人の思想を現代的に言い換えると
- 柱間とマダラの関係は「友情の失敗」なのか
- それでも二人の関係には救いがある
- 柱間とマダラの関係を一言で表すなら
- 最後に――柱間とマダラは「ナルトとサスケの前史」だった
少年時代の柱間とマダラは、実は非常によく似ていた
柱間とマダラが初めて出会った頃、二人はまだ互いの所属を知りませんでした。
忍の一族同士が殺し合う時代。
千手とうちはは敵同士でした。
しかし少年だった二人は、川辺で出会います。
そこで二人は、忍の世界について語り合います。
重要なのは、この時点で柱間もマダラも「戦争をしたい少年」ではなかったことです。
二人とも戦争にうんざりしていました。
そして二人とも、子どもたちが戦争に巻き込まれない未来を望んでいました。
これは後の柱間とマダラを理解する上で非常に重要です。
マダラは最初から世界征服を目指していたわけではありません。
柱間も最初から「里を作ってすべてをまとめればいい」と考えていたわけではありません。
二人の出発点は非常に近かったのです。
だからこそ、後の決裂がより悲劇的になります。
柱間とマダラは「もう一人の自分」のような存在だった
柱間とマダラは、単なるライバルではありません。
ある意味では、お互いが「もう一人の自分」のような存在でした。
二人とも強大な才能を持っています。
二人とも一族を背負っています。
二人とも弟を大切にしています。
そして二人とも、戦争によって大切なものを失っています。
さらに、二人には「認められたい」という側面もありました。
柱間は千手一族の中で強大な力を持つ存在になっていきます。
マダラもまた、うちは一族を率いる存在になります。
しかし二人の違いは、喪失をどう受け止めたかにあります。
ここが後の運命を分ける最大のポイントになります。
二人を分けた最大の出来事――弟の死
柱間とマダラの関係を考える上で、弟の存在は避けられません。
柱間には扉間がいました。
マダラには泉奈がいました。
そして二人とも、自分の弟を非常に大切にしていました。
しかし忍の世界では、敵対する一族の人間を殺さなければならない。
その結果、泉奈は扉間との戦いで致命傷を負います。
マダラにとって泉奈の死は決定的な喪失でした。
ここからマダラは、柱間が提示する「千手と宇智波が一緒になる」という未来に対して、強い不信感を抱くようになります。
一方の柱間も、自分の弟を失っています。
つまり二人とも「弟を失った悲しみ」を知っています。
しかし、その経験から導き出した答えが違いました。
柱間は、
「だからこそ、これ以上子どもたちが死なない仕組みを作らなければならない」
と考えます。
マダラは、
「また大切な人を失うのではないか」
という恐怖を強く抱くようになります。
この違いは非常に大きい。
柱間が「未来」に目を向けたのに対し、マダラは「再び失うこと」に目を向けるようになったのです。
柱間は「信じること」に未来を託した
柱間の最大の特徴は、人を信じようとすることです。
もちろん柱間も理想論だけで生きていたわけではありません。
戦場で敵を殺しています。
弟の扉間とも意見が対立しています。
しかし、それでも柱間は「人間同士が理解し合える可能性」を捨てませんでした。
だからこそ、
「千手とうちはが手を組める」
と考えた。
そして最終的に、千手とうちはは協力して木ノ葉隠れの里を作ります。
ここで柱間が作ろうとしたのは、単なる軍事組織ではありません。
それまでの忍の世界では、
「一族が一族を守る」
ことが基本でした。
柱間はそこから、
「里という共同体が子どもたちを守る」
という仕組みに変えようとしました。
これは非常に大きな発想の転換です。
マダラが恐れたのは「柱間」だけではなかった
一方、マダラが恐れていたのは、単純に柱間という人物だけではありません。
マダラが恐れていたのは、
「自分たちが作った平和が、再び壊れること」
だったと考えられます。
木ノ葉ができたことで、一見すると千手とうちはは共存できました。
しかしマダラからすれば、
「本当にうちはは対等なのか?」
という疑念が残ります。
特に火影の問題が重要です。
柱間は初代火影になります。
これは柱間が千手だからというだけではなく、周囲から圧倒的な支持を受けていたからです。
しかしマダラには、
「このままでは千手中心の体制になるのではないか」
という不安がありました。
そしてその不安は、単なる妄想として片付けられない部分もあります。
実際、後の木ノ葉ではうちは一族は政治的に孤立していきます。
つまりマダラの懸念には、現実的な側面も存在していました。
ただし、その不信感が正しかったとしても、
「だから世界を幻術の中に閉じ込める」
というマダラの結論が正当化されるわけではありません。
ここは分けて考える必要があります。
マダラは柱間を嫌っていたのか
非常に興味深いのがここです。
マダラは柱間と何度も戦います。
殺そうとします。
しかし同時に、柱間を非常に高く評価しています。
むしろマダラにとって柱間は、
「自分が唯一、本気で認めた相手」
に近い存在です。
これは普通の敵対関係とはかなり違います。
マダラにとって柱間は、
「倒すべき敵」であると同時に、
「自分と同じところまで来られる唯一の人間」
でもありました。
だからこそ、柱間の強さを否定できませんでした。
そして柱間自身も、マダラを単なる敵として見ていません。
柱間は最後までマダラを理解しようとします。
この相互理解の可能性が残っていたことが、二人の関係をさらに悲劇的にしています。
二人は「相手を理解していたからこそ戦った」
柱間とマダラの関係で面白いのは、
「全く理解し合えなかった二人」
ではないことです。
むしろ逆です。
二人は互いの孤独を理解していました。
互いの強さも理解していました。
互いが何を失ったのかも理解していました。
だからこそ、相手が何を恐れているのかもある程度分かっていた。
それでも意見が一致しなかった。
ここに二人の悲劇があります。
現実の人間関係でも、
「相手の気持ちは理解できるが、その考えには同意できない」
ということがあります。
柱間とマダラは、その極端な形です。
柱間は「制度」を信じ、マダラは「人間」を疑った
二人の思想の違いを整理すると、かなり分かりやすくなります。
柱間は、
「仕組みを変えれば、人々は戦争をやめられる」
という方向に進みました。
一方マダラは、
「人間は結局、憎しみや争いを繰り返す」
という方向に進みました。
柱間は「人間の可能性」を信じます。
マダラは「人間の限界」を見ています。
この違いです。
だから柱間は里を作りました。
マダラは無限月読を目指しました。
この二つは、実はどちらも「平和を作る方法」です。
ただし、その方法が正反対なのです。
木ノ葉隠れの里は柱間の答えだった
柱間が木ノ葉を作ったことには、非常に大きな意味があります。
それまでの忍の世界では、
「敵より強くなること」
が生き残るための基本でした。
しかし柱間は、
「そもそも敵同士にならない仕組みを作る」
方向に進みます。
これは柱間なりの革命です。
千手と宇智波だけではありません。
他の一族も里という共同体に参加できます。
子どもたちは忍者学校で学びます。
そして、
「一族の子ども」ではなく、
「木ノ葉の子ども」
として育てられる。
この仕組みこそ、柱間がマダラとの少年時代に語っていた夢の具体化だったとも考えられます。
しかし柱間の理想にも限界があった
ここが『NARUTO』の面白いところです。
柱間の思想が完全だったわけではありません。
木ノ葉ができたからといって、戦争が完全になくなったわけではありません。
忍五大国の対立は続きます。
尾獣を各国に分配するというシステムも、結果的には軍事バランスの一環になりました。
そして後の世代では、
うちは一族と木ノ葉の対立、
イタチの悲劇、
サスケの復讐、
第四次忍界大戦
へとつながっていきます。
つまり柱間が作ったシステムは、戦争を完全に消滅させたわけではありません。
それでも、柱間の考えが無意味だったわけでもありません。
むしろ『NARUTO』は、
「正しい制度を作ればすべて解決するわけではない」
というところまで描いています。
マダラの問題は「平和を疑ったこと」ではない
マダラが木ノ葉に疑問を持ったこと自体は、必ずしも間違いとは言えません。
実際、木ノ葉にも問題はありました。
問題なのは、その先です。
マダラは、
「人間は争い続ける」
↓
「だから現実では平和になれない」
↓
「ならば幻の世界を作ればいい」
という結論に進みます。
ここで大きな飛躍が起こります。
現実に問題があるからといって、
「現実そのものを捨てる」
という選択をしたのです。
これは後のオビトにもつながる思想です。
無限月読は「マダラの究極の逃避」だった
無限月読は、単純な世界征服の技ではありません。
むしろ、
「誰も大切なものを失わない世界」
を作ろうとしたものです。
マダラ自身が、最も強く望んでいたものでもあります。
泉奈を失わない。
仲間を失わない。
戦争を失敗しない。
誰も絶望しない。
だからマダラは幻の世界を作ろうとしました。
しかしそこには決定的な問題があります。
その世界では、人々は自分で現実を選んでいません。
本人の意思とは関係なく、幸福な夢を見せられています。
つまりマダラは、
「人を不幸から救う」
ために、
「人から選択する自由を奪う」
ことになった。
ここにマダラの思想の矛盾があります。
柱間とマダラの違いは「失うことへの向き合い方」
二人の最大の違いを一言で表すなら、
「失ったものをどうするか」
です。
柱間も失っています。
マダラも失っています。
しかし柱間は、
「失ったからこそ、これから失う人を減らそう」
と考えました。
マダラは、
「失うことそのものをなくそう」
と考えました。
この違いは非常に大きい。
柱間は現実を受け入れた上で未来を変えようとします。
マダラは現実そのものを否定しようとします。
だから二人の理想は似ているようで、根本的に違います。
「柱間ならマダラを救えたのか」という問題
これは非常に難しい問題です。
少年時代の柱間とマダラには、確かに強い友情がありました。
柱間はマダラを理解しようとしていました。
マダラも柱間を認めていました。
では、もっと早い段階で柱間がマダラの不安に寄り添っていれば、二人は決裂しなかったのでしょうか。
可能性はあります。
しかし、それだけでマダラの思想を完全に変えられたとも言い切れません。
マダラ自身も、自分の恐怖や疑念を手放せなくなっていました。
つまり、
「柱間が悪かった」
とも、
「マダラだけが悪かった」
とも言い切れません。
二人の関係は、個人の善悪だけではなく、忍の世界そのものの構造によって壊れていったからです。
扉間の存在が二人の関係に与えた影響
柱間とマダラを考える上で、扉間も重要です。
扉間は宇智波に対して強い警戒心を持っていました。
一方、柱間はマダラとの関係を大切にしようとします。
つまり柱間の中には、
「マダラを信じたい」
という感情と、
「里を守らなければならない」
という責任が同時に存在していました。
マダラからすれば、扉間の存在は、
「柱間の理想が本当に永続するのか」
という疑念を強める要素になったでしょう。
柱間がいなくなった後の木ノ葉を考えれば、
「柱間がいなくなったらどうなる?」
というマダラの不安にも一定の理解はできます。
ただし、ここでも重要なのは、
不安があることと、その不安から何をしてもいいことは別
ということです。
終末の谷は「友情の墓場」ではなく「思想の決着」
柱間とマダラの最後の戦いは、単なるライバル対決ではありません。
あの戦いには、
「どちらの平和が正しいのか」
という思想的な対立があります。
柱間は木ノ葉を守ろうとします。
マダラは木ノ葉を離れ、無限月読へ向かいます。
そして二人は終末の谷で戦います。
ここで柱間はマダラを殺すことになります。
しかし柱間は最後までマダラを憎み切ることができません。
それが二人の関係の悲しさです。
「倒さなければならない」
と理解しながら、
「それでも友だった」
という感情を捨てられない。
これは柱間の人間性を非常によく表しています。
マダラにとって柱間は「唯一の理解者」だった
マダラの人生を振り返ると、柱間は極めて特殊な存在です。
家族でもない。
同じ一族でもない。
政治的な仲間でもない。
それなのに、自分と同じレベルで戦い、自分の考えを理解し、自分の夢を共有できた。
だからこそ柱間は、マダラにとって唯一無二でした。
マダラが柱間の細胞を利用したことも、単なる「強さが欲しかった」だけではありません。
マダラにとって柱間は、自分が超えるべき存在でありながら、自分と対等に立てる存在でもありました。
その意味で、柱間への執着はマダラの人生そのものに深く組み込まれています。
柱間にとってもマダラは特別だった
逆も同じです。
柱間にとってマダラは、
「倒すべき敵」
になる前に、
「初めて本音を話せた友」
でした。
だから柱間は、マダラが離れていくことを本気で悲しみます。
単純に「敵が一人減った」と考えることはできません。
柱間にとってマダラは、
「自分と同じ夢を持っていた人間」
だったからです。
つまり二人の決裂は、
「敵同士になった」
というだけではありません。
「同じ未来を夢見ていた二人が、同じ未来を作れなくなった」
という喪失なのです。
ナルトとサスケは、柱間とマダラの関係をやり直す存在
ここから『NARUTO』全体の構造が見えてきます。
柱間とマダラの関係は、後のナルトとサスケに非常によく似ています。
柱間とマダラ。
ナルトとサスケ。
どちらも、
「理解し合える二人」
でありながら、
「異なる道を選ぶ二人」
です。
しかし大きな違いがあります。
柱間はマダラを完全には引き戻せませんでした。
ナルトはサスケを最後まで諦めませんでした。
ここに『NARUTO』という物語の進歩があります。
ナルトは柱間の理想をさらに先へ進めた
柱間は、
「人々が一緒に暮らせる場所を作る」
ことで平和を目指しました。
ナルトはさらに、
「相手の痛みを理解し、つながる」
ことを目指します。
柱間が「制度」を作ったのに対して、
ナルトは「人と人とのつながり」を重視した。
だからナルトはサスケに対して、
「お前が敵だから倒す」
とは考えませんでした。
「お前の苦しみを理解したい」
と考え続けます。
これは柱間がマダラに対して持っていた思いの延長線上にあります。
ただしナルトは、それを最後まで諦めなかった。
マダラとサスケにも違いがある
サスケもマダラと同じく、復讐と孤独を経験します。
しかし最終的にサスケは現実を受け入れる方向へ進みます。
マダラは、
「こんな世界なら、世界そのものを変えてしまえばいい」
と考えました。
サスケも一時は、
「自分が世界を支配して改革する」
方向へ進みました。
しかしナルトとの戦いを経て、サスケは自分の孤独や憎しみに向き合います。
ここにもマダラとサスケの違いがあります。
マダラが最後まで「世界を変える」ことに固執したのに対して、サスケは最終的に「自分自身を変える」方向へ進みました。
柱間とマダラ、ナルトとサスケの最大の違い
この二組を比較すると、非常に重要な違いがあります。
柱間とマダラは、
「同じ理想を持っていたのに、別々の道へ進んだ」
二人です。
ナルトとサスケは、
「別々の道へ進みながら、最後に相手を理解し直した」
二人です。
つまりナルトとサスケは、
柱間とマダラの関係をやり直した存在
とも解釈できます。
『NARUTO』という物語は、過去の世代が解決できなかった関係を、次の世代がやり直していく物語でもあるのです。
「アシュラとインドラ」という構造だけでは説明できない
柱間とマダラには、アシュラとインドラの転生という設定があります。
そのため、
「二人が戦ったのは転生の宿命だった」
と見ることもできます。
しかし、それだけで二人の関係を説明すると、少し単純化しすぎてしまいます。
なぜなら、二人は宿命だけで戦ったわけではないからです。
柱間には柱間の選択があり、
マダラにはマダラの選択があります。
二人とも、
「どう生きるのか」
を自分で選んでいます。
ここは『NARUTO』全体のテーマともつながっています。
「運命だから仕方ない」ではなく「運命をどう乗り越えるか」
『NARUTO』では、何度も運命というテーマが描かれます。
ネジもそうです。
ナルトもそうです。
サスケもそうです。
そして柱間とマダラもそうです。
しかし作品が最終的に提示する答えは、
「運命から逃げられない」
ではありません。
むしろ、
「過去から何を受け継ぎ、何を変えるのか」
です。
柱間とマダラの関係をナルトとサスケが受け継ぎ、その関係を変えていく。
そこに意味があります。
柱間は「理想主義者」、マダラは「悲観主義者」
二人を簡単に分類するなら、
柱間=理想主義
マダラ=悲観主義
と表現できます。
ただし、これだけでは不十分です。
柱間は現実を知らない理想主義者ではありません。
彼自身、戦争を経験しています。
弟も失っています。
仲間も失っています。
それでも「それでも未来は変えられる」と考えた。
一方マダラも、最初から悲観的だったわけではありません。
少年時代には柱間と夢を語っていました。
つまりマダラは、
理想を捨てた理想主義者
とも言えます。
ここが非常に重要です。
マダラは「平和を望まなかった」のではありません。
むしろ、平和を強く望んだからこそ、現実に絶望した。
だからこそ、無限月読という極端な方法にたどり着いたのです。
マダラの最大の悲劇は「理想を諦めたこと」ではない
マダラの最大の悲劇は、
「平和を諦めたこと」
だけではありません。
むしろ、
「現実の中で平和を作る可能性を諦めたこと」
だと思います。
柱間と一緒に木ノ葉を作った時点では、まだ可能性がありました。
しかし不信感が積み重なり、
「どうせ人間は裏切る」
という考えが強くなっていきます。
そして、
「ならば人間に自由を与えるのではなく、幸福そのものを与えればいい」
という発想に変わります。
これは一見すると優しさですが、実際には他者の意思を認めない思想でもあります。
柱間の最大の弱点は「人を信じすぎること」
逆に柱間にも弱点があります。
それは、人間を信じる力が強すぎることです。
柱間は、
「人は理解し合える」
と考え続けます。
これは大きな長所です。
しかし、現実には人間は簡単には変わりません。
憎しみも残ります。
権力争いも起こります。
一度できた制度が、後の世代によって別の意味を持つこともあります。
柱間自身が作った木ノ葉も、後には多くの悲劇を生みます。
その意味では、柱間の理想も完全ではありません。
だからこそ『NARUTO』は、
「柱間が正解でマダラが間違い」
という単純な物語にはなっていません。
二人の思想を現代的に言い換えると
かなり抽象化すると、柱間とマダラは、
「不完全でも現実を生きるのか」
「不完全な現実を捨てて理想の世界を作るのか」
という対立にも見えます。
柱間は前者です。
マダラは後者です。
柱間は、
「失う可能性があっても、現実の中で人とつながる」
ことを選びました。
マダラは、
「失う可能性そのものを消す」
ことを選びました。
しかし人間から「失う可能性」を完全に消すことは、
同時に、
「自分で選択する自由」
も奪うことになります。
そこに無限月読の最大の問題があります。
柱間とマダラの関係は「友情の失敗」なのか
私は、単純に「友情が失敗した」と考えるより、
「友情だけでは世界を変えられなかった」
と見る方が、この二人の関係を理解しやすいと思います。
二人は確かに友人でした。
互いを認めていました。
一緒に夢を語りました。
しかし、世界には二人だけでは変えられない構造がありました。
一族。
戦争。
権力。
憎しみ。
世代間の連鎖。
これらが二人の間に入り込んでいきます。
だからこそ、柱間とマダラの物語は個人の友情だけではなく、
「人間同士が理解し合っても、社会そのものが変わらなければ争いは続く」
という問題まで描いているのです。
それでも二人の関係には救いがある
最終的に二人は敵になります。
しかし、完全に互いを否定したわけではありません。
マダラは最後まで柱間を認めています。
柱間も最後までマダラを理解しようとします。
つまり、
「同じ道を歩めなくなった」
ことと、
「相手の存在を否定する」
ことは違うのです。
二人は敵になりました。
しかし、少年時代に共有した夢まで完全に嘘になったわけではありません。
むしろ、その夢があったからこそ、二人の決裂はこれほど悲しい。
柱間とマダラの関係を一言で表すなら
柱間とマダラは、
「同じ平和を夢見た二人が、平和を実現する方法の違いによって敵になった関係」
だと考えられます。
柱間は、
「人を信じて、現実の世界を少しずつ変える」
ことを選びました。
マダラは、
「人間は変わらないから、世界そのものを作り替える」
ことを選びました。
どちらも出発点には、
「もう子どもたちを戦争で死なせたくない」
という思いがありました。
だからこそマダラは、単純な悪役ではありません。
彼は平和を求めながら、平和のために他人の自由を奪うところまで行ってしまった人物です。
そして柱間も、完全な正解を持っていたわけではありません。
木ノ葉という仕組みを作った後も、争いは続きました。
その不完全な答えを、後のナルトやサスケが引き継ぎ、さらに修正していきます。
最後に――柱間とマダラは「ナルトとサスケの前史」だった
柱間とマダラの関係を『NARUTO』全体の中で見ると、その意味がさらに大きくなります。
柱間とマダラは、
「同じ夢を持った二人が、憎しみの連鎖によって敵になる」
という物語でした。
ナルトとサスケは、その関係をもう一度繰り返します。
しかし最後には、ナルトがサスケを諦めませんでした。
ここに『NARUTO』という作品の答えがあります。
過去の世代が、
「どうしても分かり合えなかった」
からといって、
次の世代まで同じ結末を迎える必要はない。
柱間がマダラを救えなかったとしても、ナルトはサスケを救うことができる。
マダラが「人間はどうせ争う」と結論づけたとしても、ナルトは「それでもつながれる」と信じる。
だから柱間とマダラの物語は、単なる過去編ではありません。
それは、ナルトとサスケが最後に乗り越えるべき「前の世代の失敗」でもあります。
そして最も皮肉なのは、マダラが望んだ「争いのない世界」をナルトが否定したことです。
ナルトは、争いや喪失が完全になくなる世界ではなく、
「それでも人間が互いを理解しようとし続ける現実の世界」
を選びました。
柱間とマダラの二人が最後まで実現できなかったものを、ナルトとサスケが別の形で受け継いだ。
そう考えると、柱間とマダラの関係は『NARUTO』における「過去の因縁」ではなく、
「次の世代が何を変えるべきなのかを示す、最初の失敗した答え」
だったのだと思います。



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